2024年3月17日、酒井陽介師(イエズス会司祭、上智大学神学部神学科准教授)をお迎えして、四旬節黙想講話が行われました。
また講話後の11時のミサ司式・説教もしていただきました。
四旬節・復活祭に向けて、よい準備となりました。酒井神父様、ありがとうございました。
(今回は、音声録音でのご報告です)
《目次》
《四旬節黙想講話》
【レジュメ】
【録音動画】
《ミサ説教》
【朗読箇所】
第1朗読: エレミヤ31・31~34
第2朗読: ヘブライ5・7~9
福音朗読: ヨハネ12・20~33
【録音動画】
【概要】
神は私たちに常にその手を差し伸べて下さる。一度きりの失敗で終わることはないし、一度きりどころか、何度倒れようと、何度失敗しようと。そして、立ち上がる力を与えて下さる。
祈れない時も、祈りたくない時もあります。しかし、必ず祈りたいと思う時が来ます。祈れる時が来ます。
私たちは、交わりたくない、繋がりたくない、理解したくないと思う時があります。でも、必ず繋がる時があります。交わりたいと思う時が来ます。理解したいと思う時が来ます。
それを繰り返しながら、私たちはこの世での命を捧げきっていく。それが死という形での私たちの最後、最終形ですね。そして、その後には永遠の命。そして、まだ私たちの誰も、イエス以外体験したことない復活へと導かれていきます。
私たちも、何度も何度も、繰り返し繰り返し、つまずいたら立ち上がっていく、死して復活する。それは私の力じゃないということだけを最後に付け加えたいと思います。
神がそのように引き上げて下さる。神が「大丈夫だよ」「もういいよ」「よし、行こう」と私たちを励まして下さるのです。
《写真》
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