今年は、平年より遅い梅雨入りだそうですが、それまで暑い日が続くということです。このように近年、天気予報の精度が飛躍的に上がり、日々の暮らしが便利になっています。それは現代、観測レーダーやデータなどに基づいて、空模様を読み解いているからです。しかしイエスの時代も「雲が西に出ているのを見るとにわか雨になる」とか「風が吹いているのを見ると暑くなる」といった天気にまつわる言葉がありましたが、古来の人々は、目や耳、また感覚で天気を予測していたのです。
確かに空模様を見分けることはとても大切なことです。しかしイエスは、それ以上に“時のしるしを見分けることの大切さ”を伝えるために、人々に向かって「どうして時のしるしを見分けることができないのか」と嘆かれました。
それは今、何をすべきなのか、どのように過ごすべきなのかということを考えさせるためであって、ただ何となく毎日を送っている私たちに警告しているかのようです。
これは時を無駄にしないで、混迷の時代に世界はどこに向かっているのかを考えながら、私たちは行動して行かなければならないということです。
現代、戦争や紛争が世界各地で起こっています。多くの人はそれらが早く終わることを願っていると思います。では、そのために私たちは何をすべきでしょうか。
時のしるしとは、“主イエス・キリスト”のことです。つまり混迷の時代だからこそ、今、私たちはイエスを求めるべきだということです。私自身はこれまで単に何かをすることばかり考えていました。イエスは「私の平和をあなたがたに与える」と言われています。これはイエスのうちにこそ、真の平和があるということを示しています。ですから、私たちは平和のために、イエスを求めれば良いのではないでしょうか。私たちは、平和のために肝心な方を脇に置いて、自分なりの方法で平和を追求しているかもしれません。しかし、私たちが行動すべきことは、真剣にイエスを求めることだと思います。そうすれば、きっと“平和に対する答え”というものが見えてくるような気がいたします。
主任司祭 西本 裕二