サレジオ家族には、ストレンナ(年間目標)があります。今年は「希望に錨をおろし、ともに歩もう」を目標に掲げて一年間を歩みます。〝希望に錨をおろす″とは、すべてのキリスト信者の生き方につながります。サレジオ家族の示す希望も、すべてのキリスト信者の希望も同じ「キリスト」だからです。それも復活したキリストに根差したものです。死で終わらない命がある。死んだその先には新しい命、永遠の救いという希望が待っているのです。それを信じ、受け入れたときに、私たちの心は希望へと大きく変えられていくのです。

キリストへの希望とは、憶測ではなく、また単なる期待や望みでもありません。確固たる望みであり、生きた望みです。ですから、キリストにしっかりつながることで、真の希望をもって歩んでいけるということです。

絶望の淵に立たされながらも、キリストへの希望をもって生きたカトリック信者に井深八重さんという女性がいました。彼女の生涯は、日本のマザーテレサと言われるほど、地位や名誉のためではなく、愛をもってハンセン病患者のために生きた素晴らしいものでした。
井深八重さんは、名門の家に生まれ、何不自由なく育ち、前途洋々たる将来が約束されていました。ところが22歳のときに彼女の体に異変が襲いかかります。原因不明の赤い斑点が全身にでき、すぐに医師に診てもらうと、「ハンセン病」と診断されました。現在では薬が開発され、恐れる必要のない病気ですが、当時は不治の病とされ、感染症のため、家族と縁を切られ、また籍も抜かれ、死ぬまで一生施設で生活を送らなければなりませんでした。彼女は「神山復生病院」というハンセン病療養所に入ります。

彼女にとっては、家族と面会できないという絶望の淵にあるような生活となりました。最初の3ケ月、彼女は泣き続けました。そしてようやく落ち着いたころ、患者さんたちと接しているうちに不思議な思いにとらわれていきます。それはどの患者の顔もとても穏やかな表情で、ときには笑みさえ浮かべていたからです。
八重さんは「私は絶望のどん底にいて、とても笑うような気持ちにはなれないのに、どうしてあれだけ穏やかで、しかも笑うことができるのだろう」と思ったのです。
それに対して、院長のレゼー神父は「患者さんたちも、キリストを心から信じて、まことの愛と永遠の希望を持つようになって、あのような苦しみと絶望の中にあって、喜びと感謝をもって生きていくことができるのです」と言いました。

八重さんもレゼー神父の話を聞いて洗礼を受けます。そして彼女は苦しみを乗り越える大きな喜びと平安を得ることができたのです。
それからしばらくすると彼女のからだから斑点がすっかり消えていたので、再診すると最初の診断が誤診であることが分かりました。そこでレゼー神父から、「もうここいる必要はありません。あなたは自由です」と言われると、彼女は、「私は看護師として、患者さんたちと一緒に生きたい」と願い、自分の生涯をハンセン病患者のために捧げました。
私たちも井深八重さんのように、キリストへの希望をしっかりもつことで、喜びと感謝のうちに生きるように致しましょう。
参照「あお福音ルーテル教会ブログ」

主任司祭 西本裕二