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​フロイスが伝える信長と光秀

ルイス・フロイス(ポルトガル人イエズス会士)は1564年に来日。34年間日本に滞在し、現存するポルトガル語の写本で、2500頁に及ぶ原稿を著しました。あまりに分量が膨大なため、ローマのイエズス会本部には送られず、その報告書はマカオの教会に保管されたが焼失。写本が各地に散逸して長い時が経過しました。

その眠っていた写本を発見し、散逸していたものをコツコツと集め、1950年代に十年もの歳月をかけて翻訳したのが、松田毅一・川崎桃太両氏でした。現在、私たちは『完訳フロイス日本史』全12巻(中公文庫)を手にすることができます。このフロイスの『日本史』が戦国時代の情報源としてどれほどすごいのか、具体的に説明してみましょう。

日本史の最大の謎の一つ〈本能寺の変〉について、日本側の一級資料として知られる『信長公記』では約5千字で記録されています。一方、フロイスの『日本史』では、信長や光秀の実に細かい心理描写も含め約2万字をもその解説に費やしているのです。こんな記述があります。

「彼は、誰にも増して、絶えず、信長に贈与することを怠らず、その信愛の情を得るためには、信長を喜ばせることは、万事につけて調べているほどであり、信長の嗜好や希望に関しては、いささかも、これに逆らうことがないように心掛け、彼の働きぶりに同情する信長の前や、一部の者がその奉仕に不熱心であるのを目撃して、自らはそうでないと装う必要がある場合などは涙を流し、それは本心からの涙に見えるほどであった」(『完訳フロイス日本史』3)ここで、彼は、というのは光秀のこと。いかに光秀が信長に気に入られようとしているか、その心理が描写されています。フロイスは、光秀は表面では信長に忠誠を誓っていながら、本音としては信長への不信感を募らせていたことを暗示しています。

日本側の資料が、信長の英雄譚を遺しているのに比べ、フロイスの記録は、すべての人は神の前に罪人であるというキリスト教の人間観に立って、信長も光秀もその光と影を鋭く描いています。〈本能寺の変〉の項の最後をフロイスはこう記しています。

「現世のみならず、天においても、自らを支配する者はいないと考えていた信長も、ついには以上のように、無残で哀れな末路を遂げたのであるが、彼が極めて稀に見る優秀な人物であり、非凡の著名な司令官として、大いなる賢明さをもって天下を統治した者であったことは否定し得ない。そして、傲慢さと過信において彼に劣らぬ者になることを欲した明智も、自らの素質を忘れたために、不遇で悲しむべき運命をたどることとなった(後略)」。

主任司祭 松尾 貢

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