すでに松尾師がお知らせの紙面上で書いたので皆様も御存知でしょう。教皇フランシスコは、2018年3月19日の聖ヨゼフの祝日に、使徒的勧告『GAUDETE ET EXSULTATE(喜びなさい、大いに喜びなさい)――現代世界における聖性への招き』を発布しました[カトリック中央協議会が現在準備している邦訳では『喜びに喜べ――現代世界における聖性』という題名になります]。今回の使徒的勧告の主題は「聖性」です。教皇は、あらゆるキリスト者に対して「神と親しくなるように」(=聖なる人になる)呼びかけています。「神との親しさ」が「聖性」という専門用語で強調されます。
とくに印象深いのは第二章「聖性の二つの狡猾な敵」です。キリスト者が神と親しくなるのを邪魔する敵は(1)「自力主義」と(2)「閉鎖主義」であると教皇は考えます。(1)自分は何でも出来るのだから神は必要ない、という発想をもつことが「自力主義」です。(2)そして、自分さえよければそれでよい、自分だけが特別なエリートになれば、という傾向に陥ることが「閉鎖主義」です。二つの態度が、「聖性」の敵です。
この敵については、教皇によって2013年6月29日に発布された回勅『信仰の光』のなかでも述べられます(47項)。しかも同年11月24日に発布された使徒的勧告『福音の喜び』のなかでも強調されます(94項; (1)主観主義にとらわれた信仰であるグノーシス主義、(2)自己完結的でプロメテウス的な[先見の明を備えた能力者のような]新ペラギウス主義)。
しかも教皇の影響下で作成された教皇庁教理省書簡『プラクイト・デオ――キリスト教的な救いのいくつかの観点をめぐる、カトリック教会の司教たちへの書簡』(2018年2月22日)でも言及しています。つまり(1)「新たなるペラギウス主義」(ネオ・ペラギウス主義;自力のみによる能力主義的な救済観)および(2)「新たなるグノーシス主義」(ネオ・グノーシス主義;閉鎖的な自己内面主義で満足するような救済観)という二つの傾向を、聖性の敵として挙げています。
教皇自身は(1)「新しいペラギウス主義」と(2)「新しいグノーシス主義」と語りますが、阿部はそれらを(1)「自力主義」、(2)「閉鎖主義」と言い換えました。そう訳したほうが日本では意味が伝わりやすいからです。ともかく教皇は2013年に就任して以来、在位五年を経た今でも(1)「自力主義」や(2)「閉鎖主義」がキリスト者の信仰生活を邪魔する敵であり、それらに常に警戒するよう勧めます。教皇の視点に立てば、私たちは二つの敵の圧力をはねのけるのが相当に難しく、今後も苦労せざるをえないことがわかります。
たしかに二つの敵をふりきるのは大変に困難です。(1)自力主義がはびこるのは5世紀からの大問題でした。幼少時から修道院に入って厳しい修行を得意としたペラギウスはローマ帝国内で活躍した、きまじめな信仰者でした。彼には自分の努力ですべてを乗り切る自信がみなぎっており、他人の挫折の痛みや神の恵みのありがたさには疎かったわけです。(2)一方、閉鎖主義の代表格であるグノーシス主義は1世紀から4世紀にかけて、やはりローマ帝国内で流行したエリート感覚の強い思潮でした。グノーシスとはギリシア語で「悟り」あるいは「本物の認識」のことです。この立場を唱える知識人たちが特殊なサークルを創って秘密のうちに儀式を行い、自分たちだけが救われるという閉鎖的な運動を展開しました。人類が昔から引きずっている傾向を脱して、自己中心的な姿勢を乗り越えるのは難しいのです。
協力司祭 阿部仲麻呂