- 牧師より洗礼受ける痩せし父 姪たちが見るアルバムにおり
- 韓国の初めて会いし牧師なれど 主の愛ゆえにへだたりあらじ
- 逝きし師に出会わなければ身障の 我は尊き御救い知らず
信州の瞬きの詩人といわれた水野源三さんの短歌です。
源三さんは9歳の時に赤痢にかかり、その時に出した高熱のせいで脳膜炎になり、体の自由がきかなくなりました。言葉も発せず、残されたのは見ることと聞くことだけでした。
それから4年後、重度の障害者のいる様子を察知した宮尾隆邦牧師が水野宅を訪れます。それから源三さんはお母さんの読む聖書の言葉に耳をそばだてるようになりました。み言葉は渇いていた源三さんの魂にしみこみ、潤していったのでしょう。やがて受洗へと導かれます。源三さんは日増しに明るくなり、顔つきも変わり、いつもニコニコしているようになったと言います。源三さんが明るくなると水野家全体が明るくなっていきました。
この明るさを源三さんの人生にもたらしたのは、病気が軽くなったとか、家族の苦労が減ったということではなく、イエス様を知ることによって、病気や苦しみに尊い意味があるということに気づかされ、神様が下さった特別な人生であるということを受けとめられたということではないでしょうか。
彼が瞬きの詩人と言われるのは、後に、お母さん、その次に弟の奥さんの助けを得ながら、五十音表を使い、瞬きで自分の意思を表現したら、神様を讃える詩や短歌を作ったりできるようになったからです。源三さんは次のように記しています。
「ただ植物のように生きる私でしたが、主イエス様の十字架に顕された真の神様の愛と救いに触れ、喜びと希望をもって生きることができるようになりました」。
最後に、水野源三さんの「ありがとう」という題の詩をご紹介しましょう。
ものが言えない私は ありがとうのかわりにほほえむ
朝から何回もほほえむ 苦しいときも 悲しいときも
心から ほほえむ
主任司祭 松尾 貢