ハロルド・フィッチという作家が次のようなことを言っています。

「おかしくはないか
他の人があることをするのに長い時間かかると
あいつはのろまだといい 自分の場合は慎重だという
他の人が言われもしないことを勝手にすると
あいつはでしゃばりだといい 自分の場合は積極的だという
他の人が自分の意見を強く主張すると
あいつは頑固だといい 自分の場合はしっかりしているという
他の人が少しエチケットを破ると
礼儀知らずだといい 自分の場合は個性的だという
他の人が上役の気に入るようなことをすると
ごますりだといい 自分の場合は協力的だという」

いかがでしょうか。なるほど、人の心をよく言い当てているな、と身につまされる思いになるのではないでしょうか。

待降節に入ると司祭の祭服は紫色になります。紫は回心を促す色でもあります。幼子の誕生を前に、各自、悔い改めましょうという招きでもあります。罪を悔み、ゆるしをいただき、軌道修正を行う時期です。

罪のことを英語で“ SIN ”といいます。ある牧師さんはこう説明しています。罪 SIN とは、中心に“ I ”を置くことです。本来、中心には神様がいるはずなのです。私たちはみんな神様のもとにあって、神様のみ旨を求めて生きるべきなのです。しかし、創世記2章のエヴァのようにこの実を食べたら神様のようになれるという誘惑に負けるのが人間の常なのです。そういう状況を反省し、そうではない、私の、私たちの中心には神様がいらっしゃるべきで、神様を他の所に置いて、自我が真ん中に居座っている自分の心をメタノイア(軌道修正)するためにいい黙想会とゆるしの秘跡の機会を持ちたいものです。

主任司祭 松尾 貢
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