昨秋、横浜雙葉学園に行く機会があった。講話後、千葉校長先生から、「ドン・ボスコの手紙が日本に来たこと知っていますか ?」と問われた。ドン・ボスコの帰天は1888年、チマッティ師の日本上陸は1926年2月8日。ドン・ボスコが日本に手紙を書き送ったはずは……。ところが、千葉先生からいただいた雙葉の創立者マザー・マチルドの本の中に次のような文章があった。
「このすばらしい教育を充分に実現させるために欠けていたものは、庶民の男子を受け入れる、これと同じような事業であった。マザーは、キリスト教修士会に何度呼びかけたことだろう。しかし、彼らが来日できないことを知ると、彼女はドン・ボスコ自身に宛てて手紙を書き、日本の貧しい子どもたちの福音宣教のために幾人かの会員を派遣してもらえないかと願うことまでした。彼は返事を送ってくれた(自筆の署名のある手紙で、聖人の遺物として大切に保存された)。聖人は、マザー・マチルドの願いに心から同意するが、派遣できる会員は全部南米に出してしまったところなので、今は応じられないということであった。当時、ドン・ボスコは、教皇庁の修道者聖省を通して教皇レオ13世ご自身から依頼された、パタゴニア宣教を開始するところだったのだ」(『ひとつぶの麦のように』(横浜雙葉学園発行、2000年、P140)。
サレジオ会は南米への宣教師派遣(1875年)の50周年にあたって、日本への宣教師派遣を決定した。マザー・マチルドの願いが50数年後に実現したというわけだ。
来日間もないチマッティ師が重視した事業は、①邦人司祭育成、②出版、の二つであった。資金不足と種々の困難な中で、師はこの二つの事業に力を注いでいった。
本日、2月12日9時半のミサに横浜と四日市のサレジオ志願生が来会し、共に祈り、歌を披露してくれる。チマッティ師の邦人司祭育成の志は現在まで引き継がれ、いかに厳しい状況であっても、養成のためには人材や資金を惜しみなく使うという伝統は守られている。近い将来横浜志願院は幕を閉じるが、四日市の志願院でそのDNAはしっかりと継承されていくはずだ。志願生のコーラスを聴きながら、ぜひ、邦人司祭召命のためにお祈りをお願いしたい。