1888年1月31日未明、ドン・ボスコはルア神父をはじめ、多くの弟子に囲まれた中、神に召され、この世を去りました。72歳でした。

サレジオ会をはじめ、扶助者聖母会、サレジアニ・コオペラトリを設立し、サレジオ家族を興したドン・ボスコはいったいどういうお方だったのでしょうか。

多くの側面をもったドン・ボスコのパーソナリティを描写することは簡単ではないですが、あまり難しく考えずに、まず次のように定義ができるのではないかと思います。

ドン・ボスコは、若者、特に貧しい少年の教育と救いのために、神から与えられた能力と時間、そして労力を完全に捧げ、そのために世界的な運動を起こした聖人であるということができます。また、教育の現場において精を出し、見事な成果をあげたドン・ボスコは、教育者の模範とも言えるのではないでしょうか。

ドン・ボスコは、幼い時から若者のために働かなければならないと感じていましたが、司祭叙階後、トリノの司牧研究所にいた頃、聖カファッソ神父と一緒にジェネララ刑務所を訪問し、このような場所に若者が絶対入らなくてすむように手を打たなくては、と思い、そのために自分の一生を捧げなければならない、と確信するようになりました。

ドン・ボスコからすぐれた教育法という形の霊的遺産をいただいている私たちは、サレジオ会委託教会として、2月11日、ドン・ボスコをお迎えいたします。神様に感謝し、ドン・ボスコのおん取次ぎを願いながら、この大きなイベントを喜びたいのです。その時、鷺沼教会に運ばれてくるご像の中には、ドン・ボスコが何度も子どもたちを祝福した右腕の骨という聖遺物が入っています。

もうすぐ、ドン・ボスコがやってこられると待ち遠しく思いつつ、感謝と喜びのうちに、今日、ドン・ボスコの祝日のミサを捧げましょう。

助任司祭 アキレ・ロロピアナ
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