イエス様はゴルゴタの丘まで400メートル、十字架を担がれました。その間「十字架の道行き」では、聖母マリアにお会いし(4留)、キレネのシモンの助けを受け(5留)、ベロニカからハンカチを受け(6留)、そしてエルサレムの婦人達との出会い(8留)が記されています。さらに、イエスさまが三回十字架の重荷に耐えかねて、倒れたことを黙想します。福音書ではマタイ・マルコはキレネのシモンのことしかふれず、ルカはそれに加えて嘆き悲しむエルサレムの婦人たちのことに言及します。ヨハネは、キレネのシモンについては言及しません。ヨハネは、最後に書かれた聖書なので、他の聖書が触れていないことに重点をおくのか、そのあたりのことが省略されて、十字架の下に立つヨハネと婦人達のこと、それに十字架上でのイエス様のお言葉を記録します。「婦人よ、この人はあなたの子です」(26節)「この婦人は,あなたの母です」(27節)「私は渇く」(28節),そしてイエスさまの最後のお言葉として「全ては成し遂げられた」(30節)が続きます。十字架上のお言葉は全部で七つですが、そのうち四つはヨハネの聖書がその出展です。

木曜日の「ヨハネの福音を読む会」でも考えたことです。イエスさまの十字架の道行きをヨハネは次のように書き始めます。「イエスは自ら十字架をにない、町を出て「されこうべ」(ヘブライ語でゴルゴタ)というところへ向った」と。イエスさまは、裁判の結果十字架を無理やりに背負わされたのではなく、自ら望んで、私達の罪を贖うために十字架を担われたのだということを、ヨハネは大切に記録しようとしたのです。またヨハネは「よき羊飼いのたとえ」の中でイエス様の言葉を伝えます。

「誰かが私の命を奪うのではない。
私が自分でそれを捨てるのである。
私は命を捨てることができ、
またそれを再び得ることができる。
私はこの命令を父から受けた」。(ヨハネ10:18)

四旬節中、十字架を見るたびに「自ら、進んで十字架を担われたイエスさまの愛を黙想致しましょう。

主任司祭 田中次生
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