十字架の縦の柱の方は既に刑場に立てられている。囚人は十字架の横木の部分を担がされる。大体の重さは70キロ。それをピラトの官邸から、ゴルゴタの丘までの400メートルをイエス様も担がされたのでした。しかし、昨夜からの裁判・鞭打ち・責め苦を受けられたイエス様には、体力の限界まできていました。イエスさまは、十字架の重さを体で感じ、人々の嘲りと辱めを心に感じました。十字架の「道行」では三回も倒れたことになっています。
十字架の「道行」の中に出てくるキレネのシモンは、三つの共観福音書の中に出てきます。マルコは「アレキサンデルとルフォスの父であるシモンというクレネ人が、田舎から出てきて通りかかったので、シモンにイエスの十字架を無理に背負わせた。」と書きます。教会で知られていたアレキサンデルとアンテイオキアの教会の創立者の一人ルフォスの父シモンが、たまたま通りかかったので、ローマ兵の「緊急徴用権」によって、無理やりに十字架を担がせました。彼は全くの偶然を通してイエスの十字架を背に受け止め、「イエスとの出会い」を実現しました。「死刑囚」が十字架を背負っているみっともない光景。そのときは「思いがけない災難、巻き添えを食らった災難」と思ったでしょうが、後になって「生涯に渡っての光栄」と思ったに違いないでしょう。
「クレネ人を捕まえて、十字架を負わせ、イエスの後からこれを運ばせた」(ルカ23:26)と記すルカは、次ぎのイエスさまの言葉も記録します。「私について来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、私に従いなさい。」(ルカ9:23) イエスさまの後をイエス様の十字架を「自分の十字架」として運んだことを、彼は後になってどれほど、目を輝かせ活き活きとして人々に語った事でしょうか。
聖パウロも書きます。
「神を愛する人たち、すなわち、ご計画に従って神に召された人々のために益となるように、全てが互いに働き合うことを私達は知っています。」(ローマ8:28)