アイキャッチ用 田中神父の今週の糧

今週の木曜日の「ヨハネの聖福音」を読む会では、イエスさま復活の第一番目の証人は、女性の「マリア・マグダレナ」であったことを読みました。そして男性では「ペトロと“イエスが愛していたもう一人の弟子”ヨハネ」であったことを読みました。

晩の講座の時「復活の最初の証人の共通点」は何だろうかと、話し合いました。マリア・マグダレナとペトロとヨハネの共通点です。

マグダレナは空っぽの墓の外に立って、イエスさまの体がだれかから持ち去られたと思って泣いていました。ヨハネは、マリアさまと一緒に6時間十字架の下に立ち尽くし、イエスさまと苦しみを共にされました。周囲の嘲笑と嘲りの渦の中、でも苦しんでいるイエスさまを一人にさせておくことなど出来なかったからです。そして、ペトロは御受難の間、三回もイエス様を知らないと言って否定しました。ルカはそのときのことをこう記します。「その時、主は振り向いてペトロを見つめられた。ペトロは・・・外へ出て激しく泣いた。」(ルカ22:61)この3人に共通しているのは十字架のイエスさまに対して泣くだけの愛情を持っていたということです。それに対してイエスさまは復活の証人として最初に彼らに現れたということができるでしょう。

しかし、多くの聖人たちが言っていることですが、「聖書には記されていないけど、お母さんであり、共贖者(きょうしょくしゃ)でもあるマリアさまに対して、イエスさまは子どもとして復活後最初に現れたにちがいない」ということを私たちは考えることができるでしょう。ヨハネは短く「一方イエスの十字架のかたわらには、その母、母の姉妹、クロパの妻マリア、マグダラのマリアとが立っていた。」と記しています。マリアさまほど十字架を背負うイエスさまのそばに精神的にも身体的にも共におられた方はいらっしゃらなかったからです。マリアさまの被昇天はその一つの結論とも言うべきでしょう。

十字架を背負うイエスさまは、私たちのひとりひとりの心にどのように受け止められているのでしょうか。

主任司祭 田中次生

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