アイキャッチ用 田中神父の今週の糧

八木重吉の詩

無題

キリストのあしどりのはじめより
死ぬまでを考えれば
こわすことのできぬ壷のように静かだ。

ドイツのヒトラ-時代の教会指導者の内、忘れることのできない一人に神学者ボンヘッファ-がいます。彼は何回かのヒトラ-暗殺計画に加担しました。しかし、ヒトラ-が自殺するわずか3週間前の暗殺計画に加担したことが、当局の知る所となり、1945年4月8日、死刑判決をうけ、翌日絞首刑にされました。

彼の思想の中で、「安価な恵み」と「高価な恵み」という考え方があります。「安価な恵み」というのは、世俗化された教会制度から、「大安売り」される投売り的な秘蹟をとおして与えられる“恵み”を言います。その恵みを受けるために、信者はそんなに努力する必要もなく、教会制度のメカニズムの中で、ちょうど街角で“宣伝用のティッシュ”を貰うような感覚で受ける恵みです。

「高価な恵み」は、旧約時代ならアブラハムのように、すべてを投げ打って(最愛の子イザクの命までも捧げる覚悟で)神に従ったアブラハムや新約では、イエス様の一言で、舟と家族を置いて従ったペトロなどの使徒たちが受けた恵みです。神の招きに、ちょうど「値高き真珠を見つけた証人が、全財産を投げ打って、それを手に入れるように」、自分の生活を捨て、十字架を担うイエス様の後を、黙々と従うことで与えられるお恵みです。高価なのは、その代償がある意味で、人間の命だからであり、それが“恵み”なのは、それによって“真の命”が人間に与えられるからです。

神学者ボンヘッファ-は、命を掛けてヒトラーに反対しました。彼は同時に“命を掛けて”十字架を背負うキリストに従おうとしたのでした。四旬節の間、十字架を見るときに、これほどまでして私達のことを考えて下さったイエス様に感謝するとともに、私たちにとって「高価な恵み」になっているのかどうか反省したいものです。

主任司祭 田中次生

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