この秋の列福式は「ペトロ岐部と187殉教者」と命名されています。ペトロ岐部神父はこの時代の言わば、代表的な指導者ということができるでしょう。今回は、岐部神父さまの年表を簡単に作りました。

1587年ペトロ岐部、豊後の国の国東半島にて誕生(父ロマノ岐部・母マリア波多)
1600年岐部父子肥後に移住。ペトロ岐部有馬のセミナリオ(神学校)入学
1606年セミナリオ卒業。同宿(伝道士)になり、カスイと名を改める。イエズス会に入るとの私的誓願(19歳)
1614年国外追放によりマカオへ渡る(27歳)
1617年マカオを脱出し、インド、ペルシアへ(30歳)
1619年エルサレム巡礼、最初の日本人聖地巡礼者に(32歳)
1620年ローマ到着。10月18日の剃髪式を皮切りに、11月15日「司祭に叙階」され、イエズス会に入会許可(33歳)
1622年
3月12日
イグナチオ・ロヨラとフランシスコ・ザビエル「聖ペトロ大聖堂」で列聖。ペトロ岐部、帰国のためにローマを去り、途中リスボンのイエズス会修練院で修練し、立願(35歳)
1623年リスボン出航(36歳)。インドのゴア(1624年)、マカオ(1625年)、マニラ(1629年・42歳)
1630年ミゲル松田神父と共にルバング島から日本へ渡航。七島海峡で難破、坊津に上陸し、長崎に(43歳)
1632年ミゲル松田神父長崎にて病死(45歳)
1633年長崎を去り、東北へ(46歳)
1637年島原の乱勃発(50歳)
1638年島原の乱鎮定。「キリシタン禁令の強化」(51歳)
1639年仙台領内で逮捕され、江戸に送られ、7月4日、穴吊るしの拷問並びに燃えさしの薪木の拷問を受けて殉教。取調べをした井上政重筑後守の直筆の所見が現在も残っています(享年52歳)

「ペトロ岐部は転び申さず候」

『ペトロ岐部』(松永伍一著・中公新書)『ペトロ岐部カスイ』(五野井隆史著・教文館)の年表を参考にしました。

主任司祭 田中次生
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