子供の時や学生時代の「夏休み」を懐かしく思い出さない大人はいないでしょう。授業がなくて、とりあえず明日までに提出の宿題がないだけで(もっとも夏の終わりの宿題の追い込みは大変でしたが……)何であんなに嬉しかったのかと思います。そのくせ今は、休み中、車の運転をするときは、子供の飛び出しをいつも意識するので、「夏休みなんてなくして、子供はいつも学校に閉じ込めておいて欲しい」との考えが頭を過ぎったりします。
さて2週間前の聖書(マルコ6:31)でイエス様は、宣教から帰ってきた弟子たちの報告を聞いて言われました。「さぁ、あなたがただけで人里離れた所へ行って、しばらく休むがよい」と。短期決戦型とも考えられる3年間の宣教生活の中でそれでも、キチンと「休み」を配慮されるイエス様の優しさを感じます。と同時に「振り子はかならず両方に等しく振れる」ことも考えておられたのでしょう。一生懸命宣教したという振れはちゃんと休みを取ることで、次の振れの準備をするのです。
睡眠時間も同じです。よく眠れれば次の日はよく働けるし、よく働けばその日はよく眠れるのです。振り子の振りのバランスが大切なのです。ナポレオンが3時間、エジソンが4時間しか眠らなかったということが記録されていますが、例外というべきでしょう。ドン・ボスコも5時間以上眠ったことはなかったと言われていますが、そのあたりが彼のバランス感覚だと思われます。
赤ん坊も、ニ、三歩歩くと立ち止まります。周りで見ている親たちの期待を裏切って、休んだりします。順風満帆に出世街道を突っ走っていた人が、病気や予想外の事故に遭い、そのいわば「休み」がずっと人間としての成長を促すものです。
夏休みです。お互い少しゆっくりしたいものです。止まって立ち止まれば、今まで見えなかったことも見えてくるかも分かりません。イエス様も「祈るために一人だけ山にお登りになった」(マタイ14:23)のです。イエス様のお休みはお祈りだったのですね!! う~ん!!