「あなたがたのうち、病人がいるならば、その人は教会の長老たちを呼び、主の名によって油を塗って、祈ってもらうようにしなさい。信仰による祈りは病人を救います。主はその人を立ち上がらせ、もし、その人が罪を犯しているなら、その罪はゆるされます。」(ヤコブ5,14~15)という言葉はどれほど慰めに満ちていることでしょうか。病の床に伏す人にとって、主の恵みが近づいてくる、主の恵みが伴ってくださるというのはどれほど心強いものでしょう。そして多くの司祭たちが、この秘跡の授与によって力付けられ、罪の赦しをいただき、さらに回復の恵みに浴した人の姿をどれほど見ていることでしょう。
敬老の祝福と塗油の秘跡が、日本の教会でいつごろから行なわれるようになったのか、はっきりわかりませんが、多分第2バチカン公会議後の典礼改革の結果ではないかと思います。それまでは「終油の秘跡」と言われ、上の聖書の言葉を厳密に適応しすぎて、臨終間近の方にだけ授けられるものと理解されていました。それが「塗油の秘跡」と変更され、重病でなくとも病気の人や大きな手術を受ける人、それに時に応じて老齢の人にもたびたび授けられるようになったことはありがたいことだと思います。
話は変わりますが、俳人芭蕉の最期の旅となったのは、難波(なにわ)の蕉門の一致を促すために出かけて行った時でした。その折、当時難波で指折りの料亭「浮瀬(うかむせ)亭」で句会を開いています。(その料亭のあった場所が、現在は姉妹校大阪星光学院の校地内であるのは、なんとなく芭蕉に親しみを覚えます。)弟子の話によると、朝から句会に出すために一心に推敲した句が「この秋は 何で年よる 雲に鳥」であったと言われています。芭蕉はその幾日かの後に他界していますので、最期の句会に出したものかも知れません。最近、此の芭蕉の句がしきりに頭をよぎってきます。特にそれは「なんでこんなに体がつらいのか」という考えにもとづくもののようです。
今日、敬老の祝いと塗油の秘跡が行なわれるということで、おいくつからが対象なのだろうと尋ねてみますと、70歳ぐらいでしょうと言う事でした。今まで元気はつらつと、そのようなことは縁もないものだと考えていましたが、自分がれっきとしたその対象者になっているのです。なるほど、さしもの健脚でならした芭蕉でさえ、難波に着いたときには「何で年よる」と自然に口をついて出たのでしょう。わたしも今年から「塗油の秘跡」をいただいて、恵みのうちに委ねられた務めを果たしたいと念じています。