6月29日はペトロとパウロの2人の偉大な使徒たちを記念します。彼らは教会の礎を築き、教会において非常に大きな役割を果たしました。彼らの姿から私たちは多くのことを学ぶことができると思います。パウロを取り上げますと、宣教者の姿を見ることができるでしょう。それはキリスト教の迫害者から宣教者へと大きく変わっていったからです。

しかしそれまで彼の心の目を塞いでいたものがありました。それは律法へのこだわりです。このようなパウロの律法へのこだわりが、キリスト信者に対して迫害というかたちで表れ、それ以外のことをなかなか受け入れようとしませんでした。つまり自分が正しいと思っているもの以外は間違っているという見方です。

このような見方は、私たちの誰の中にもあるように思います。現代、国でも、会社でも、教会でも、修道会でも、“愛着主義”と言えるものが、発展や進歩の妨げになっているように思います。「これまでやってきたことだから、これでないとダメだ」といった固執した考え方があると、どんなことでもなかなか変わっていけないでしょう。

パウロは、キリスト信者になってから律法を捨てたわけではありませんが、それ以上にキリストの素晴らしさを知りました。それゆえに律法の本当の意味も知ることになります。そして彼は律法へのこだわりを捨てたときに、真の宣教者となったのです。つまり彼のこだわりは、律法からキリストに変わることによって、宣教活動の大きな力となり、成果をもたらすことになりました。

私たちもパウロのように「キリストのためだったら何でもする」といったようにこだわらない心で、キリストの素晴らしさをもっと知ることが大事だと思います。それによって、私たちも真の宣教者となり、教会のために大きな働きができるのではないでしょうか。

私たちは、本質であるキリストを伝えるということが、ぶれない限り、新しいことに取り組んでも、恐れや心配をもつ必要はないと思います。
なぜならば、そのような姿勢にこそ、キリストの力と助けが大きく働くと思うからです。

主任司祭 西本 裕二

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