8月27日は聖アウグスチヌスの母、聖モニカを記念します。モニカはキリスト信者の母親の模範また保護者とされています。
アウグスチヌス自身が書いた自伝『告白』の中で彼女について多く触れられています。アウグスチヌスはどれだけモニカからキリスト教について学んだかが記されています。数多いる聖人たちの中にも熱心で信仰深い母親から影響を受けた人は少なくありません。
またモニカはアウグスチヌスの回心のために涙をもって祈りました。それがアウグスチヌスの回心につながったと言われています。アウグスチヌスはのちに「母は私を2度産んでくれた」と言って、モニカに感謝しています。一度は出産の苦しみであり、二度目は祈りによる霊的な苦しみです。この霊的な苦しみこそアウグスチヌスに回心の恵みをもたらしたのだと思います。
モニカは、アンブロシウス司教に息子のことで相談すると、彼はモニカに次のように言いました。「このような涙の子は決して滅びることはありません」と。熱心な祈りは、確信をもたらします。モニカもきっとこのアンブロシウスの言葉に促されて、息子アウグスチヌスの回心を信じたのでしょう。
旧約聖書に「私はあなたの祈りを聞いた。あなたの涙も見た」(イザヤ38・5)とおっしゃっている神は、私たちが必死に願うならば、必ず答えてくださる方であることを示しています。それゆえに、私たちキリスト信者は、つとめとしての祈りよりも、心から必死に願う祈りが必要です。
日本の民間信仰に「お百度参り」というものがあります。このお百度参りは、神社の入口から本堂まで参拝して、また入口まで戻るということを一日に百度繰り返すことですが、人に見られないようにやるとか、裸足でやった方が効果あると言われ、深刻なお願いの場合に行われることが多いようですが、このような祈りは、モニカが息子の回心のために身をもって示された祈りに通じるものがあると思います。つまり“必死の祈り”こそ、真の祈りと言えるのではないでしょうか。そしてまたこのような祈りこそ、祈る相手に大きな恵みをもたらすのではないでしょうか。
ですから、特にキリスト信者の母親は、聖モニカのように自分の子供がつねに神の道を歩み、救われるために、しばしば“必死の祈り”を捧げていかなければならないと思います。
主任司祭 西本 裕二