今日、都筑教会では横浜教区司祭 保久要神父様をお招きして「黙想講話」が行われます。“黙想”と言いますと、私たちには馴染みのある言葉です。黙想会や黙想の家そして黙想書など、教会の大事な霊的部分を示すものです。

ちなみに都筑教会では、土曜日や日曜日に半日使って黙想会を行うのが難しいので、これまで主の降誕を準備する待降節も、復活祭を準備する四旬節も黙想会の一部である「黙想講話」だけを行ってきました。
キリスト教の黙想とは、本来テーマを決めて、それを自分の内面で深く思い巡らして祈るものです。ですから黙想するときは、思考、想像、感情、望みなど、私たちの側からの働きかけが必要です。そして、そのためにどうしても講話を聞いた後で考察する時間が必要になってきます。
けれども黙想講話だけの場合、黙想会のように静けさの中でゆっくり祈る時間が取れないので、今回は話を聞いてから、少なくとも各自でもう一度振り返る、あるいは考える時間をどこかで取ってほしいと思います。講話や講演会のように話を聞き、それで終わってしまうと、多くの人は、きっと自分から考察する時間を取らないので、深めることは難しいでしょう。

ですから皆さんは、忙しく時間が足りないという生活の中でこそ、一度立ち止まって、霊的な時間を大事にして頂きたいと思います。霊的なことに対して関心が無くなってしまうと、キリスト者としてだけでなく、人間としても薄っぺらな者となってしまいます。霊的に薄っぺらいというのはキリスト者としては致命的です。

私たちは日々、信仰を深めて成長していかなければならない存在です。み言葉は私たちキリスト者の力であり、糧です。それだからキリスト教の黙想には、必ずみ言葉が必要です。皆さんはこのようなことを心がけて、黙想講話の時間を有意義に過ごして頂きたいと思います。
このクリスマス、霊的な心で、救い主イエスを喜んで自分のうちに迎えるように致しましょう。

主任司祭 西本 裕二

LINEで送る