私は、年齢を重ねるにつれ、早い時間帯に床に就くようになりました。夜9時過ぎには眠気が強まって、テレビを見ながら寝落ちしてしまうこともあります。ですから、早いときは夜9時、遅くても夜10時には就寝しています。
確かに朝は5時と早く起きていますが、若い頃は深夜遅くまで平気で起きていましたので、生活リズムがだいぶ変わってきたのは、やはり老化によるものだと考えます。また最近、体力の低下や健康不安などを感じているのも、年を取ってきているからでしょう。

人間だれもが年を取り、死に近づいていきます。これは避けられない現実ですが、でも多くの人は、いつまでも自分は生きられると錯覚し、様々なことに必死に取り組んで、長生きすることを目指しています。
人生100年時代と言われるように、人間の寿命は昔と比べて、確かに伸びていますが、ただ人がいつ死ぬかは、必ずしも人の努力に比例するものではないと思います。なぜなら、すべての命は、神の手の中にあるからです。

また私は年齢を重ねるにつれて、良かったこともあります。それは人が生きる上で大事なことが分かるようになったことがあるからです。
それは人間にとって、単に長生きすることが大事なことではなくて、どのように老いるかが大事なことだと思えるようになりました。つまりどのように死に向かって生きるかが神に問われているような気がします。
自分の命を与えられたものとしてとらえ、それをどのように生かすかということが鍵になるのではないでしょうか。それによって、老いることのない永遠の命に生きることができるからです。

今日はキリストの聖体の祭日です。聖書において、イエスが群衆に向かって、「朽ちる食べ物のためではなく、いつまでも無くならないで、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい」(ヨハネ6章27)と言われました。これは私たちが自分の寿命をのばすために必死になって、何を食べるかなど努力することよりも、永遠の命を得るために努力して生きなさいと言われているのではないでしょうか。
ですから、これからもご聖体を永遠のいのちにつながる糧として、信仰の心でいただくように努めましょう。

主任司祭 西本 裕二

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