チプリアニ司教は続けてこう話す。誰でも、「話し始める前に、聞いてもらいたい相手の名前を呼ぶものです。誰に向かって話しているのか、はっきり意識することが必要ですが。それは、祈りにおいてはなおさらのこと。なぜなら、私たちは心の中で話をしているうちに、しだいに後ろ向きな考えに陥るからです。『お前は駄目だ』という声や、人びとの批判、陰口、悪口、そしりなどが、まるで耳元に語られるようにリアルに聞こえるならば、対話は成立せず、独語となってしまいます。第一、私たちの考え、願い、不安などを、もし実際に人に聞いてもらうなら、相手は誠実な人でなければならない。私たちの弱さに付け込むような者、また悪い道に唆すような人には、けっして私たちの思いを聞いてもらいたくない。そこで、神に聞いていただくには、何よりも大切なことは神に対する信頼。私たちはお祈りする時には、まず第一番に神さまが誠実な方であることを信じなければなりません。イエスは、祈りは何よりもまず、神に呼びかけなさいと教えられました。『天におられる父なる神さまと呼びかけなさい』と。天におられる神は、イエス・キリストの父なる神であります。そして、御自身の父である神のことを、『あなたがたも、わたしと同じように『私たちのお父さん』と呼びなさい」と。考えてみれば、これは何と驚くべきことではないでしょうか。何と恐れ多いことであるか。私たちは神さまのことをまったく知らなかったのに、『天におられる私たちの父よ』と呼びかけることが許されたのであります」。

註 イエスの言われる「父」とは、日本の「親父」「お父さん」とは似ても似つかぬ代物。そもそも、中近東の「父親」とは、日本の母親に限りなく近い。幼稚園生や小学生低学年の送り迎えはもとより客人が来れば、食事の準備ともてなしは、一家の長たる「父」の仕事。何から何まで、家の掃除も父親の仕事もそうである。

主イエスさまの教えて下さった祈りは、こんな父への呼びかけから始まるのである。

主任司祭 長澤幸男

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