三島新司祭の叙階にあたって(No.2)

アイキャッチ用 田中神父の今週の糧

「司祭」(ヘルマン・ホイベルス作)を捧げます。

司祭のようである。
いとし子と庭に出て、春の花を指し示す母のよう。幼い瞳を陽の光り輝く大空に、高く広がる青空に向かわせ、天にまします御父を告げ聞かせつつ、小さいその指を組み合わせてやる母、わが子に創造主をあがめさせ、主に一生涯仕えるように勧める母のよう。

司祭のようである。
黙っている父、しかしひそかに子供たちに期待をかける父。自尊心を、家庭をいとおしむ心を、祖先の誇りに思っていることを、黙っている父。父は黙っている。いつも、いつも、子供たちのことを思っている。子供たちはそれと知らないでいても……

司祭年上の友人のようである。
「喜ぶ人とともに喜び、泣く人と共に泣き」、若人の心に勇気を起こさせる。潔白な生活に対する雄々しい心を、イエスにつき従うまことの勇気を起こさせる。

司祭キリストのようである。
主は一人で山に登られ、星の下で熱い祈りを御父に捧げられた。誰もが皆眠っている間に。世の人々に喜びの福音を与え、その子供たちを祝福し、病人に御手を伸べ、罪びとを顧みられ、命まで渡された。豊かに人々が主の命を受けるように。これこそ世の光、命の糧、類なき良き牧者!!

司祭父である神のようである。
正しい人にも正しくない人にも陽を輝かせ、落ちこぼれそうな麦の芽をかきとらず、放蕩息子を迎えに馳せつける父。おそらく、誰も、世の父親の一人もこうまでしないであろう。

司祭これら全てである。
そして
それは、あなたなのです。

「布教」1941年7月号より

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