キリシタンの殉教シリーズを始めてしばらくたった時、何人かの人たちとおしゃべりしていました。話題は“188人の福者の殉教”になり、こんな意見が出てきました。「私がそこにいたら、殉教できたのかどうか本当に危ういとしか思えない」と。そして何人かも賛成しました。私は先日の「横浜一粒会」での川村神父様の講演から「188人の福者は、誰一人“自分は殉教を恐れない”などと言う人はいませんでした。みんな謙遜に神様にお祈りしていました」との話をしました。そしてルカによる福音書から「人々があなたたちを会堂や役人や権力者たちの前に連れて行かれたとき、どのように弁明しようか、また何を言おうかと心配することはない。言うべきことは聖霊がその時に教えて下さるからである」をみんなで考えたのでした。
しばらくたって池田敏雄氏の『津和野への旅』で甚三郎の記録を読んでいると次のような話が出てきました。監獄で甚三郎が役人から呼び出される時、意識的にかどうか役人は太陽に向かって拍手を打って拝むのでした。そして決まってこう口説くのでした。「改心して早く太陽を拝め!! お天道様に本当にお世話になっているのに、わけの分からぬデウスなどを拝みやがって!!」とその度ごとに言うのでした。甚三郎は「お役人さま、それならご説明しましょう。夜道を遠くから帰らねばならなくなり、知らない道を、谷底に落ちる危険を恐れながら歩いている時、ある人が現れて火の点いている提灯を貸して下さったとします。お役人さまが無事我が家に帰られた時、その提灯とロウソクを高いところに祭りあげて、手を合わせお祈りされますか? 命拾いされたのですから……」と。役人は「農民の分際で、理屈をこねやがって!!」と怒り、甚三郎をもとの監獄に突き飛ばしたのでした。後年この話を孫たちに話した時、彼等は口々に「役人をよくまぁ上手くやり込めたものだ!! 祖父ちゃんすごい!!」と感心すると、甚三郎は「バカが……オルがどうしてソギャンこつがいえるもんかい。みんなサン・スプリット(聖霊)が口ば通して言わしてくださったとタイ……」と答えたそうです。(池田敏雄『津和野への旅』P162 中央出版社)
一度、改心した甚三郎がその苦しみの中から学んだ、自分の弱さを認め、無限の神さまに対する信頼をその中に見ることができます。