アイキャッチ用 田中神父の今週の糧

最初の聖霊降臨のことを使徒行録はダイナミックに記録します。「五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いてくるような音が天から聞こえ、彼らがすわっていた家中に響いた。そして炎のような舌が分かれ分かれに現われ、一人一人の上にとどまった。すると一同は聖霊に満たされ“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。」(使徒2:1~4)

私は「一同が一つになって集まっていると」に強くひかれます。ルカの聖書では、最後の晩餐の夜、イエスさまが聖体の制定をし、裏切りの予告をするという辛い時に、弟子たちが「偉いものは誰か」について議論をし、イエスさまから「あなたたちの内で一番偉いものは、年下の人のようになりなさい」と諭されてしまいます。今生の別れと寂しい気持ちのイエス様のことを考えるよりも、「自分が一番、自分が一番」としか、弟子たちは考えていなかったのです。

でも、聖霊を迎えるにあたって、弟子たちは変わってきました。「彼等は皆、婦人たちや、イエスの母マリア、およびイエスの兄弟たちとともに、心を合わせてひたすら祈っていた」からです。(使徒1:15)一つの“炎のような舌”が“分かれて一人一人の上に”留まったことにも深い意味があります。弟子たちは、それぞれが違った歴史と個性と能力を持ち、しかもイエス様との関係を持っていました。聖霊の恵みを受けて、弟子たちは変わりました。「多様性の中の一致」を学んだのです。「多様性の中の一致」によって、それぞれが自分の個性を大切に生かすことで、全体としても豊かになり、全体の豊かさがまた個々の弟子たちをよりいっそう豊かにするようになったのです。弟子たちはその後全世界に向けて出発し、イエス様の教えを伝えます。どんなに遠く離れていても、その物理的な距離を越えて、彼等は心において結ばれていました。「また、心を一つにして、日々絶えず神殿に参り、家でパンを手で分け、喜びとまごころをもって食事をともにし、神をたたえた。彼等は全ての民に好意を持たれた。」(使徒2:46)と聖書は記録します。

主任司祭 田中次生

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