千里の道も足下より始まる(老子)

アイキャッチ用 松尾神父の今週の糧

9月8日聖母マリアの誕生の祝日に、「カトリック生活」1000号刊行記念ミサが目黒碑文谷教会で行われました。月刊誌は年間12号しか発行しないわけですから、1000号といえば84年の長い期間を要します。記念ミサに与りながら、老子の言葉を思い浮かべました。

1926年2月に門司港に入港したチマッティ師ら9名のサレジオ会員は宮崎に向かいます。翌27年に、宮崎、大分、中津の教会を正式に担当することになります。来日の時、チマッティ師はすでに46歳、難解な日本語をマスターすることは至難の業です。しかし、宣教活動を始めたい。そこで、チマッティ師がとった方法は、まず音楽でした。音楽家のチマッティ師がピアノを弾き、若い外国人司祭や神学生がオペレッタや聖歌を歌う。音楽の合間に、日本人教区司祭や田中耕太郎のような高名な方の講話を挟むという方法で、各地で音楽の夕べを開催してまわりました。音楽会は宮崎から九州だけではなく、大阪、東京の日比谷公会堂、海を越えて朝鮮半島、満州にまで及びました。

第1の方法が出版です。日本人教師の助けを借りながら、1928年5月24日の扶助者聖母の祝日に第1号となる「ドン・ボスコ」を大分市で発刊しました。来日2年目のことです。それから「からし種」、「カトリック生活」と名称を変えながら、今年1000号に達したわけです。以前は、大阪司教区が発行していた「声」という雑誌がカトリック界では一番の老舗月刊誌でしたが、声誌廃刊の後はカトリック生活誌が一番古い歴史をもっていることになります。

ドン・ボスコが印刷物の効用として、こんなことを言っています。

「人は話を聞いてもらえなかったり、むげにあつかわれたりすれば感情を害しますが、本はそんなことはありません。どんなに扱われても平気ですし、宣教師が入っていけないところにも入っていけます」。

鷺沼教会の入り口に、毎月「カトリック生活」をおかれていますが、1000号発刊を機会に一人でも新たな読書がふえることになれば嬉しい限りです。

主任司祭 松尾 貢

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