麹町教会では、5月15日に現助任司祭・ギュンタ・ケルクマン師を、5月23日には前主任司祭・佐々木良晴師を相次いで天国に見送るという哀しみにおそわれました。佐々木師は以前から闘病生活中でしたが、ケルクマン師の場合は数日前には二組の結婚式の司式をなさっていたほど、あまりにも急な帰天でした。それだけに、周りの方々にとっては大きなショックでした。ケルクマン師は2014年4月号から『カトリック生活』誌に連載記事を執筆なさっていましたが、今年6月号の最後の文章に次のような記述がありました。
“人間は誰でも例外なく、死に直面しなければなりません。しかし、私たちは死ぬために造られたわけではありません。死という運命を負わされたが、イエスの深く大きな愛によってその運命も贖われ、死を超えて生き続けるいのちに変えられたのです”
まるで、ご自分の死を予感しているような印象を受けます。師の文章には常に希望と喜びがあります。本年5月号で、師は来日した当時の日本語学習の苦労と挫折感、共同生活の試練について語っておられます。
“勉強も生活も何もかもが思いどおりにいかず、フラストレーションがたまる一方でした。ミサにあずかっても、朗読、説教、祈りの言葉、すべてが日本語なので理解できず、心が慰められません。いらいらが募って、次第に祈ることさえできなくなりました。来日してからの数ヵ月は、私にとって人生最大の危機でした。しかし、簡単に諦めるわけにはいきません。心の平安を取り戻すために、自分なりに工夫してみよう。そう決めた私は、昔、教会の老神父に教わった「喜ぶ練習」をすることにしました”
- ルカ福音書の喜びが表現されている箇所を調べ、ゆっくり味わう。
- 詩編を「喜び」「感謝」などテーマ毎に分け、集中的に読む。
- 身体を使った喜ぶ練習。山歩き、海を眺める。自然を愛でる。
- 祈れないときは、無理に祈ろうとせず、抱えている問題をイエス様に正直に話す。
試練が永遠に続くことはない。慌てずに喜ぶ理由を探しながら、試練が過ぎ去るのを待とう、という師のアドバイスを心に留めたいものです。
主任司祭 松尾 貢