​朝陽の明るい反射と慰霊行事――死へのおびえからの脱却

アイキャッチ用 阿部神父の今週の糧

もうすぐ訪れる11月は死者のために祈るひととき。そのことを想い出させる一文を書くように、とのこと。主任司祭によるリクエスト。書くしかなかろう。もっと魅力的な主題で書くべきことはたくさんある。しかし上司の命令には逆らえまい。苦渋の妥協。

中学時代に死の恐怖におびえた。そして高校時代に澁澤龍彦の「六道の辻」(『唐草物語』河出書房新社、1981年所載)を読み、「真壁踊り」に大いに興味をいだいた。室町時代に流行した真壁某による舞踏の話題であるが、どうやら澁澤なりの諧謔趣味の創り話のようだ。しかし室町時代の写本から着想を得た真実の話であるかもしれない。澁澤は卓抜な想像力をもって物語を創造したが、もともとは精緻な読解作業に徹する文献学者であったから。

日本の室町時代と同時期の西欧では「ダンス・マカーブル」が流行していた。つまり不気味な踊り、あるいは死の舞踏。黒死病(ペスト)の流行とともに、王族から庶民にいたるまで、あらゆる人がのたうちまわって死を恐れた様子が伝わる。こうして、死への恐怖は、美術・音楽・文学・演劇などあらゆるジャンルの藝術創作にも影響をおよぼした。

いかなる身分であれ、人は必ず死ぬ。決して死をまぬかれる者はいない。自分が死ぬとわかったとき、人は半狂乱となる。取り乱す様子は、まるで踊り狂う阿呆。酔狂人の現実。生者は踊る。いかんともしがたい現実を前にして。

澁澤は古今東西の古典文献を自由に読み解いたうえで、独自の小説を多数遺した。14世紀から15世紀の比較思想的な主題のひとつとして「真壁踊り」と「ダンス・マカーブル」が結びつけられた。住む場所が異なっても、人は同じ問題意識をいだいて生きている場合があるからだ。MakabeとMacabreを呼応させて独自の創作をものす「あそび心」が秀逸。

これも個人的なことだが、もう十年ぐらい、「死の舞踏」という曲を繰り返し聴いている。アンリ・カザリスの奇怪なる詩を読んで着想を得たカミーユ・サン=サーンスによる交響詩が「死の舞踏」(Danse Macabre;歌曲1872年、1874年管弦楽曲)である。夜中の十二時になると墓の奥底から多数の骸骨たちが這い出して、騒々しく踊り狂う。そして鶏が鳴く朝の訪れとともに、骸骨たちは、なりを潜める。墓は静寂を取り戻す。単純なイメージを情感豊かに展開させるサン=サーンスの音創りのセンス良さは見事である。死者も踊るのだ。

なぜに、死がこわいのか。自分が消えて無くなる、親しき人びとが消えて無くなる、そういう虚無の現実に、私たちはおびえるからなのだろう。中学時代に、夕暮れどきの部屋の窓から外の景色を眺めていて、ふとさびしくなり、すべてが虚無の底に吸い込まれてゆくような「行き止まり」の感触を身に覚えた。あまりにも息苦しく、いたたまれなかった。

しかし朝、川崎サレジオ中学校に着くと、イタリア人司祭が生徒たちとサッカーに興じていた。明るく。朝陽をあびて反射している宣教師の頭の輝きを私は決して忘れない。そして、亡くなった方々を慰霊して祈る行事を毎年11月に繰り返すカトリック教会の伝統の尊さをも心に留め続けるだろう。

相手を決して虚無に帰さない立場で生きる者たちがいるかぎり、私たちは想い出され続けることで新たに生き続けるのだろうから。関わりの努力が安心感を与える。明るく生き、死者を想い出して祈りたい。

協力司祭 阿部仲麻呂


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