聖書と高齢者の手

11月27日の待降節第一主日から全国一斉に始まる「新しいミサ式次第」のために本日、鷺沼教会として研修会を行います。

50年以上実施され、親しんできたミサの日本語が変わることは、信者の皆さんにとってはとても残念であると共に、再び覚えるのは大変なことだと思います。
これは教会にとって大きな変革であるのは間違いないことですが、私たちカトリック信者はどんなことにおいてもつねに柔軟に対応していかなければならないと思います。

これまでに“祈り”においても、日本語が何度も変わってきています。「主の祈り」「アヴェ・マリアの祈り」「信仰宣言」など、時代の変遷で文語体から口語体に変わりました。なかでも「アヴェ・マリアの祈り」は、「聖母マリアへの祈り」になり、再び「アヴェ・マリアの祈り」に戻るなど、混乱を生じかねないような変更だったことを記憶しています。

その際、信者の中には郷愁の念にかられたかのように、「前の祈りのほうが良かった」とか、「大事な祈りを度々変えるべきではない」など様々な厳しい意見がありました。
しかし私は当時、ほかの教会の主任司祭だったので、高齢の信者の皆さんは覚えるのが大変だろうと心配していました。ところが積極的に覚え、喜んで大きな声で新しい祈りを唱えていたのは、なんと多くの高齢者の皆さんでした。むしろ若い人のほうが「覚えられない」とか、「面倒くさい」など不満や愚痴を言っていたのを覚えています。

一人の高齢の婦人は、「私はもう80歳を過ぎていますから、なかなか覚えられないかもしれませんが、教会が決めたことだから、神父様、自分なりに頑張ってみます」と私にわざわざ言ってきました。

私は当時、それを聞いたとき、高齢の信者の皆さんのほうが教会の物事だけでなく、社会の物事に対しても柔軟さを持っているのではないかと思いました。

私たちカトリック信者は、その場の状況や変化に応じて、適切に判断し、行動することが求められています。それは使命を果たしていくためです。
そして、もしかしたらこの“柔軟さ”が世界や社会において、平和や救いをもたらすかもしれません。ですから、私たちはつねにどんな変化に対しても、またどんな人とのかかわりにおいても、“柔軟さ”をもって、イエスの愛を実行していくように致しましょう。

主任司祭 西本 裕二


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