マザー・テレサ

今日、鷺沼教会ではクリスマスの霊的準備として、武井アントニオ神父様をお招きして、待降節の黙想講話が行われます。鷺沼教会では黙想講話はよく行いますが、黙想会の機会は少ないと思います。では「黙想講話」と「黙想会」の違いを皆さんはご存じでしょうか。

「黙想講話」は、もちろん黙想会での講話という意味もありますが、教会などで単独で黙想講話が行われる場合は、霊的なお話を中心にして聞き、その内容を味わって黙想するものです。
それに対して「黙想会」は、テーマを決めて、担当司祭の指導のもと、お話を聞き、そこからヒントを得て、祈っていくものです。黙想会にはきちんとスケジュールがあって、時間をかけてゆっくり行っていきます。信徒向けやカトリック学校が生徒のために黙想会を行う場合、半日黙想会といったものもあります。

私たち司祭や修道者は、忙しい中にあっても年に1回7日間ほど黙想会に参加し、心身の休養を取り、霊的な糧を補給しなければなりません。黙想会は基本的に沈黙です。参加者は食事のときも会話は控えます。最初は大変かと思いますが、慣れてくると心が落ち着いてきます。

私たちは普段、会話や音楽や騒音など様々な音に囲まれて生活しています。そしてそれに慣れてしまって、安心しているところがあります。しかし、そのような中では大事なものが聞こえてきません。
それに対して、静けさの中で過ごすのは、慣れてくるまでは不安を感じ、落ち着かないかもしれません。しかし、そのような中では、大事な“み言葉”が聞こえてきます。そして神に向かって祈れるようになるのです。

マザー・テレサは“沈黙”を大切にしていました。そして「沈黙の実りは祈り」と言われたように、沈黙なしに彼女の深い祈りはなかったといえるでしょう。
黙想は、想像して頭を働かせて祈ることが大事です。祈りの基本といえるかもしれません。それは「黙想」から深い祈りである「観想」へと向かうことができるからです。

私たちは、黙想講話を単に霊的な糧として聞くだけでなく、深い祈りに向かうための大事な手段としても聞くように致しましょう。

主任司祭 西本 裕二


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