待降節第3主日は、昔から「喜びの主日」と言われています。それは祭壇横にあるアドベントクランツに3本目のロウソクが灯されるなど、クリスマスが近づいたという喜びの雰囲気を私たちに感じさせてくれるからです。
今日の朗読箇所のイザヤの預言とヤコブの手紙では「喜び」について触れられ、そしてマタイ福音書では、洗礼者ヨハネを通して「回心」が求められています。つまり来るべき方を迎える喜びと回心の必要性を説いています。
一見しますと喜びと回心は、矛盾するかのように思われます。しかし回心なくして、真の喜びはないと言えます。これまで2週間、回心を問い続けられた私たちは、民衆がヨハネに質問したように、同じ質問を神に対してしなければなりません。「では、どうすれば良いのでしょうか」と。それは私たちの力だけで回心はできないからです。洗礼者ヨハネが来るべき方は自分ではないとはっきりと否定し、人びとの心をイエスに向けさせました。私たちもこの洗礼者ヨハネの導きに従って、イエスに心を向けるために、回心しなければなりません。回心は生き方の転換です。ヨハネが示した「下着2枚持っている者は1枚も持たない者に分けてやれ。食べ物を持っている者も同じようにせよ」という言葉は、自分のできる“小さな回心”を求めているように思います。神は大きなことや特別なことをしないと私たちに心を止めてくださらない方ではありません。私たちのほんの小さな努力を顧みて下さる方です。
ですから、自分のできる良いことをして、それを積み重ねていくことで、私たちは次第に心がイエスに向かって行くのではないでしょうか。
この待降節、私たちはイエスを心から喜び迎えるために、日々、小さな回心をもって準備を致しましょう。
主任司祭 西本 裕二