私たちは生きていく中で、人生の節目となるような様々な出来事があります。たとえば入学式とか結婚式、また司祭や修道者にとっては叙階式や誓願式もそうです。そして今日の成人式のように特別な儀式やお祝いの時を持ちます。
このような出来事はそれぞれの人にとって、きわめて重要な意味をもっております。それはこのような出来事を機に、その人の人生における新しい段階に移り、それまでとは違った生活や生き方が始まるからです。
明日、教会は「主の洗礼」を記念します。洗礼というのは、イエスの生涯でたいへん重要な節目となる出来事であったと思います。
なぜならばイエスは、ナザレという小さな村でごく普通の生活をしていましたが、ヨハネから洗礼を受けたその時から、人びとの前に姿を現して、神の国の福音を宣べ伝えるようになったからです。
このイエスの洗礼というものは、私たちと全く同じ立場に立とうとされたイエスの姿を表しています。つまり、へりくだって、しもべとして、徹底して人に仕える生き方を私たちに示されたのではないでしょうか。
キリストに従って新しい歩みを始めようと望む人は、必ずキリストと同じように徹底して仕える生き方を選ぶでしょう。このように考えますと、成人式という節目も同じです。成人になるということは、大人として、責任をもって人生を歩んでいくことです。大人とは、与えられた自由を好き勝手に生きることではありません。
むしろその自由を社会や人のために活かして、生きることだと思います。そこには人に仕える、あるいは奉仕する心が備わっていなければできないことです。つまり本当の意味で大人になる、成人するということは、奉仕を意識して、社会の中でその生き方を実践していくことです。
どうぞ成人を迎えた皆さんが、これから自分が関わる人たちのために、奉仕の心をもって、頑張って生きていただきたいと思います。そして、そのような奉仕の心にこそ、大人としての本当の成熟があるということを忘れないでいただきたいと思います。
主任司祭 西本 裕二