NHKの大河ドラマ「功名が辻」(2005年放送)で、細川ガラシア役を演じた長谷川京子さんのカトリック礼法指導を依頼されたことがあります。2日間、代々木のNHKセンターに通って、十字の切り方、ロザリオの持ち方、アヴェ・マリアの唱え方、アーメンの意味の説明などをしましたが、あらためて典礼の所作の意味を考える貴重な体験でした。
入門講座の際、「ミサ中、立ったり、座ったり、手を広げたりするのはなぜですか」、「福音朗読のとき、皆さんが額や口に十字を切っているのは何のためですか」。「カリスにぶどう酒をいれたあと、水をいれるのはどんな意味があるのですか」などの質問をうけることがあります。
上記の質問に答える際、まず典礼とは何かをみていく必要があります。
バチカン公会議で出された『典礼憲章』は次のような表現で、教会と教会が行う典礼の二面性を表しています。
「人間的であると同時に神的であり、見えるものでありながら、見えない要素に富み、活動に熱心であるとともに観想に富み、世の中にありながら旅するものであることが、この教会の特有のものである」(2)。
それゆえ、教会の信仰の表現としての典礼は、目に見えるしるしを通して、目に見えない神の恵みを実現するものであると理解することができます。
たとえば、司祭がパンを供える祈りをしたあと、ぶどう酒と少量の水をカリスに注いで、沈黙のうちに「この水とぶどう酒の神秘によって、わたしたちが人となられたかたの神性にあずかることができますように」と祈ります。聖変化によって、ぶどう酒がキリスト様の血に変わることを信じる私たちですが、その際、そのキリスト様のいけにえに私たちの日常の生活の労苦や犠牲も与るのだということを、その水の一滴が示しているのです。