年の瀬になると、「今年の10大ニュースとか」、「流行語大賞」などが話題となります。先日の新聞では、2011年「この3冊」と題して、多くの識者による今年の印象深かった本の紹介がなされていました。
作家・池澤夏樹氏はその1冊に、大船渡のカトリック医師・山浦玄嗣訳『ガリラヤのイェシュー』を取り上げていました。山浦先生は“イエス様が育ったのはガリラヤ地方のナザレト。都エルザレムから見れば、辺境の地”、だから日本語でいえば東北弁はまさしく聖書の翻訳にふさわしい方言だ、という信念のもと、4福音書をギリシア語からケセン語(気仙沼地方の方言)に翻訳しました。それが、今年の震災で被災した大船渡の出版社から合本として出版されたわけです。
今日、読まれるルカ1章26節以下の箇所をご紹介しましょう。
〔エリザベツ孕(はら)みてより〕六日目のこと、神さまから遣わされたるみ使いガブリエルが、〔天離(あまざか)る〕ガリラヤの地のナザレの雛里(ひなざと)に住む、ダビデ王の血筋に連なるヨセフという人の許嫁(いいなづけ)にて、名をマリアムといえる娘のもとにやって来なさった。ガブリエルのマリアムがおりし所に入り来て、言いなさるには、
「喜べ、喜べ! 慈しまれたる者よ、我らが御あるじなる神さまはいつもそなたがそばにおいでなさるぞ。」
されど、マリアムはこの言葉に怖(お)じ狼狽(うろた)え、この挨拶はその何故(なにゆえ)ならんとオロオロ思案に暮れてござる。そこで、み使いの言いなさるには、「そのように恐れおるをやめよ、マリアム。神さまはそなたをことのほか愛(いとお)しく思っておいでぢゃ。見よ、そなたは孕(はら)みて、男の子を生む。そのお子をイェシューと名づけよ。・・・・・・・・」
池澤氏の表現によれば、「斬新で独創的な四福音書の翻訳。既訳の『聖書』を離れて、「洗礼」を「お水潜り」とするなど、用語の一つ一つを原義に戻って作っている」。
他の2冊として、元駐バチカン大使・上野景文著『バチカンの聖と俗―日本大使の一四〇〇日』(鎌倉春秋社)、今日の黙想指導者・湯浅俊治師著『聖書読解へのアクセスー50のポイント』(教友社)を推薦したい。