復活されたイエスさまの弟子たちや婦人達への第一声は、「あなたたちに平安があるように」であり、次に「恐れることはない」(マタイ28:10)でした。

ヨハネは最初にイエス様が弟子たちに現われたときのことを記録します。「その日、すなわち、週の第一日目の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、戸を閉めていた。そこにイエスが来られて、弟子たちの中に立ち、「あなたたちに平安があるように」と言われた。そういって、両手とわき腹とを示されたので、弟子たちは主を見て喜んだ」(20:19)

弟子たちは、肩を寄せ合いながら皆で集まり、ひっそりと息を殺していました。マリア・マグダレナやペトロとヨハネから「主は復活された」という「喜びのメッセ-ジ」を受けながら、信じることが出来ずに、恐れていたのです。その恐れはユダヤ人に対してだけでなく、ひょっとして「イエスさまにも対しても“恐れ”を持っていた」のではないでしょうか。生前も、イエスさまは何回も“受難・御死去・御復活”について触れ、弟子たちの心を準備されていたのに、カルワリオの丘には、かろうじてヨハネ・マリアさま・数人の婦人達がいたのでした。そのことをイエスさまはきっときつく咎められると弟子たちは考えたに違いないからです。

でもイエスさまは「あなた方に平和があるように」と言われました。この平和という言葉は、ヘブライ語では「シャロ-ム」と言います。ユダヤではごく日常的な、普通の挨拶です。でも日常生活の中で“神”の存在が浸透しているユダヤ社会では、神に結ばれた深い意味がその中にはあります。三省堂の「聖書思想辞典」では「人間が、日常生活で安寧を保ち、自然・自己・神と和合し生きている状態をも意味する。具体的には、祝福・休息・光栄・富・救い・命など一切を包含する概念である」と表現しています。これだけの内容を含む言葉を、復活されたイエスさまは、投げかけられたのです。弟子達はイエス様に心を閉ざしてしまったのに、イエスさまは両手とわき腹を開き「シャロ-ム」と呼びかけてこころも開いてくださったのです。だから「弟子たちは主を見て喜んだ」のです。

主任司祭 田中次生
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