3月3日は、日本の伝統行事の一つである桃の節句とも言われる「ひな祭り」です。ひな祭りの風習はだいぶ廃れてきたように思いますが、日本の伝統行事の発端は大事な意味合いのものが多いように思います。
ひな祭りは、七五三と同様、昔は子供の死亡率が高かったので、女の子の節句ですが、このような節目にひな人形を厄除けとして飾り、子供の成長や長寿を願うものでした。

昨今、日本の伝統行事の担い手の高齢化や後継者不足などで、継続を実施することが難しくなって、終わっていくものが出てきています。先日、テレビ番組で、岩手県で行われてきた「蘇民祭」という男性たちが裸で袋を奪う祭りが1000年の幕を下ろすというニュースがありました。
これを聞いて、私は人ごとではないように思いました。それはカトリック教会も伝統的な行事がありますが、廃れてきて、実際にあまり行われなくなったものが出てきているからです。たとえば聖体への信心業の一つ「聖体賛美式」や聖母への取り次ぎを願う「ロザリオの祈り」、神のお告げを思い出し、朝昼夕と1日3回祈る「お告げの祈り」、聖霊の力と働きを願う「聖霊への祈り」などいくつかあります。他に四旬節の節制のつとめである「大斎・小斎」もその一つに数えられるかと思います。

伝統は、担い手を育て、その意味を伝え、大事な行事として継承していかなければいつかは廃れてしまうでしょう。ですから、カトリック教会も後継者を育て、その意味をしっかりと伝え、次の世代に継承していかなければ終わってしまうか、形式的なものとなってしまうのではないでしょうか。
現代、個人の選択の自由が強調されています。でも大斎・小斎のつとめは、単なる慣習ではなく、またやってもやらなくても良いというものでもありません。
教会が伝統として行ってきた意味は、私たち信者にとって、信仰生活に“必要で欠かせないもの”だからです。それは節制によって、私たちが自分の内面を見つめ、神と人に心を開くためです。

ですから、教会の大事な伝統行事や慣習を継続していくために、信者それぞれがその意味をしっかりと理解して、実行していくことが求められているのではないでしょうか。

主任司祭 西本裕二

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