天国と日本の殉教者達(No.1)

アイキャッチ用 田中神父の今週の糧

今年、教皇様は「日本一八八の殉教者」を列福して下さいました。せっかくですので、日本の殉教者たちの中で、それも特別に若い子供たちが殉教の場で「天国」について触れているのを拾い上げて行きたいと思っています。最初は日本26聖人からです。

最年少は尾張出身のルドビコ茨城(12才)です。彼はいつもニコニコしていました。耳を切られる時も、つらい長旅の時も、そして十字架上でも少年の顔から微笑が消えませんでした。でも長崎の奉行寺沢半三郎から「どうだね! 転ぶ気持ちはないかね? 武士に取り立ててやってもいいのだよ!」と言われた時は、健気にもキッパリと言い切りました。「そうしてまで、私は生き延びたいとは思いません。なぜなら終わりなき生命を、束の間の生命とは代えられないからです。私は天国で生き栄えるのが本望です」と。

バウチスタ神父の両隣にルドビコ少年とアントニオ少年は十字架にかけられました。2人の少年たちは神父から、最後の時が来たらラテン語の聖歌“Laudate pueri Dominum! 子等よ、主をほめ讃えよ!”を歌うように言われていたので、「歌い始めてよろしいでしょうか?」と神父に質問しました。しかしバウチスタ神父は、顔を天に向けて深い祈りを捧げていたので、アントニオと2人で、大きな声で歌いました。

その後ルドビコ茨城少年は、縛られているのに、まるで天に走り込もうとするかのように体を動かし、高い声で何回も、何回も声を振り絞って叫ぶのでした。「パライソ! パライソ! イエス! マリア! 天国! 天国! イエス! マリア!」

その声はだんだんと小さくなっていきました。でも天におられるイエス様とマリア様のお耳には、必ず達したことでしょう。

主任司祭 田中次生

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