列福をひかえともに祈る7週間 ―「テ-マ4・弱い立場の中に輝く希望」―

アイキャッチ用 田中神父の今週の糧

東京教会管区司祭研修会(10月20~22日)が伊豆のエクシブホテルで開催されました。私には初めてのことでしたが、東京から北海道までの司教区の研修会でした。司教が8名、司祭が107名の参加があり、列福に向けての「勉強会」と現在日本の教会が直面している諸問題について担当者からの説明があり、理解を深めることができました。その合間に、旧知の神父様方との交流もあり、充実した3日間でした。1日目の夜は、溝部司教様と2人だけの「2次会」をし、お別れの晩餐会では、梅村司教様の斜め前の席を確保したら、後からなんと私の前に岡田大司教が座られたのでした。多少緊張しましたが、共通の話題「殉教」があるのでいろいろと司教様の考えもお聞きでき、楽しくお話ができました。

その中の1つに、今日私たちが読んだ加賀山一族18人の殉教者について、司教様がとても感心しておられたのが印象に残りました。加賀山隼人たち3人は、1619年に殉教しました。小笠原玄也と妻みや(隼人の娘)と子供たち(息子6人・娘3人)の殉教については、家族の絆の強さについて痛く感動されていました。そして「その他に、年齢、名前不詳の4人の女性奉公人」が含まれていることがすごいのだと何回も何回も口にされました。

手持ちの本でいろいろと調べてみました。領主細川忠興は、1619年将軍秀忠が仕掛けた京都の大殉教を目にして帰国しました。時勢はここまできたのかと止む無くキリシタン禁制に取り組み始め、再三声を掛けても教えを捨てない隼人の首を切ったのでした。

忠興は小笠原玄也と妻みやと子供たちを小倉から追放しました。彼らは4人の女性たちを含めて総勢18人が、13年間も小さな百姓屋で食うや食わずの生活を送り、最後は斬首刑でその尊い魂を主イエス・キリストの御手に委ねられたのでした。18人は、身分も年齢も性別も超えて、信仰に結ばれて一つになっていたことがわかります。家族の絆が希薄になっている現代の日本の社会にあって、私たちの目指す道を教えてくれています。

主任司祭 田中次生

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