列福をひかえともに祈る7週間 ―「テ-マ2・信仰のきずなと教会」―

アイキャッチ用 田中神父の今週の糧

1643年、日本人の最後の神父が殉教しました。小西行長の孫小西神父と式見神父です。それから1865年の信徒発見までの222年間、キリシタンたちは神父不在のまま、信仰を守り通したのです。世界史の中でも例を見ない事実といえます。殉教の直後、浦上の孫右衛門と七郎左衛門とが密会し、隠れキリシタンの組織を作り、信仰をまもることを誓いました。神父の役目を果たす「帳方」、お帳(日繰り・祈りの本)を預かる「惣頭」、五つの郷の責任者で、郷内で生まれた子どもに洗礼を授ける「水方」、各家の責任者「聞役」等の役職をつくりました。彼らは三つのことを大切に子孫に伝えました。一つ、七代たったらローマからパーパ(教皇様)の舟で神父がやってくる。二つ、その神父は独身(ビルゼン)である。三つ、その時、「サンタ・マリアの御像」を持って来る。

多くのキリシタン研究家が指摘していることです。長く苦しい迫害にあっても、キリシタンたちの信仰を保たせたのは、マリアさまに対する信心と「祈り・御絵・典礼暦」といった形のあるものを大切にすることでした。マリア観音、ロザリオの祈りを通して「天の母」と結ばれ、祈り・御絵・典礼暦を通じて日常生活の中に、信仰生活のリズムを作り、全世界の教会とこころで結ばれることが出来たのです。

1865年3月15日のキリシタン発見の日、祭壇の前にひざまずいて祈るプチジヤン神父に、15、6人の集団の中から、一人の女性が「ワレラノムネ、アナタノムネとオナジ」声をかけました。そして次の二つの質問をしました。「サンタ・マリアノゴゾウハドコ?」「アナタサマモ、カナシミノキセツ(カマラ・四旬節)ヲマモッテイマスカ?」自分たちが大切にしている「マリア様と一年の典礼暦」を質問することで、神父がほんものかどうか確かめようとしたのでした。
孤独なキリシタンたちは、でも「マリア様と典礼暦」を通して、全世界の信者たちと、目に見えないけど、それでも強い繋がりを持っていたのです。イエスさまの十字架の下に立たれたマリア様は、私たちのお母さんとして、それぞれの殉教者たちの十字架のもとにも立たれたのです。

主任司祭 田中次生

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