玉座のキリスト[部分](チーマ・ダ・コネリアーノ画)

今日は、年間最後の主日「王であるキリスト」を祝います。来週からいよいよ主の降誕の準備である「待降節」に入ります。
王であるキリストは、1925年に教皇ピオ11世が回勅『クア・プリマス』をもって、「王であるキリスト」の祭日を制定しました。時代はまさにドイツではヒトラー、イタリアではムッソリーニ、ソビエトではスターリンと独裁者が現れ、その体制を固めていたところでした。
王であるキリストの「王」とは、私たち日本人には少し分かり難いイメージかもしれませんが、「王」とは、もともとメシアのことであり、「神に選ばれて油を注がれた王」という意味です。ですからイエスこそ真の王であり、人間を支配する真の権威と力を持っておられる方であるということです。

イエスがこの世のどんな王よりも偉大なのは、“愛をもって”民を支配しているからです。この世の権力者の中には、力をもって人を苦しめ、恐れさせることで支配している人もいます。
現代でも武力で他国に侵攻し、市民に犠牲者が出るのもためらわない権力者や自国を統制するために強行に覇権を広げようとしている権力者などもいます。
そのような権力者に対して、真の権威とは何か、そしてそれを持っているのは誰かということを示すために、教会は「王であるキリスト」を定めたのではないかと思います。

ですから私たちキリスト信者は、真の権威とそれを持つ方を知り、自分に与えられた権威や権限といったものを、愛をもって正しく行使していかなければならないでしょう。
現代、社会においても権威や権限を勘違いしている人がいます。たとえばパワハラ(パワーハラスメント)といったものが増加しているのもそれを表しているように思います。

権力や権限を間違った捉え方をすると、私たちも人を苦しめてしまいます。しかし、自分に与えられた権威や権限を神からのもとして捉えるならば、私たちは、人に対して希望や喜びをもたらすことができるのではないでしょうか。

*参照: Laudate 教会カレンダー 「A年 王であるキリスト」

主任司祭 西本 裕二


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