アイキャッチ用 小坂神父の今週の糧

教会の一年の典礼を規定している「典礼暦年と典礼暦に関する一般原則」に次のように述べられています。「四旬節は、復活の準備をするために設けられている。四旬節の典礼によって、洗礼志願者はキリスト教入信の諸段階を通して、また、信者はすでに受けた洗礼の記念と償いの業を通して、過越しの神秘の祭儀に備えるのである。」(同書27)

今週からいよいよこの大切な季節に入ります。そのためにわたしたちの生活の目指すところを具体的に把握していく機会ともなります。先に述べられているように洗礼志願者は、この期間に神の子、聖霊の神殿となる恵みに向かって最後の準備の期間となります。今年も復活徹夜祭に行なわれる洗礼式に向けて、わたしたちの教会でも幾人かの方がその準備段階に入ります。信者の皆さんのお祈りを切にお願いします。

わたしたち信者は、いただいた洗礼の恵みのときを思い起こし、そのときの決心を新たにして信仰生活を固めるとともに、キリストのあがないの神秘を黙想しながら、復活祭に向けて償いの業に励むときです。また、同じ一般原則が述べているように、「四旬節の初めにあたる水曜日は、どこでも断食の日とされ、その日に灰の式が行なわれる。」(同書29)現在では色々のかたちで断食がはやってはいますが、キリストのあがないの業を思い起こし、そのご受難に一致するために全信者が心を合わせて断食するというところに意味があります、出来るだけこの勤行に一致するとともに、四旬節に当たっての心構えを新たにしていただきたいと思います。

「サンタ・マリアのご像はどこ。」と尋ねたキリシタンの末裔は、続けて「私たちは今カナシミ節を守っています。あなたも守りますか。」とプチジャン神父に尋ねました。(片岡弥吉著 日本キリシタン殉教史P572)司牧者のいない中で、断食と祈りの掟を忠実に守り通しながら、ついにパーデレに出会うことが出来たのです。

わたしたちが行なう小さな犠牲や、お捧げする祈りがどれほどのものでしょうかと考えるかもしれません。しかし、「主が喜ばれるのは、焼き尽くす捧げものであろうか。むしろ、主のみ声に聞き従うことではないか。」(サムエル記上15,22)と言われるようにわたし達の心が求められています。一人ひとりが自分に適した犠牲を持って、「さあ、今こそ恵みをいただく時、さあ、今こそ救いの日」(2コリント6,2)である四旬節を復活祭に向けて信仰の日々とするようにつとめていただきたいものです。

主任司祭 小坂正一郎

おすすめ記事