「それでも…喜び・希望・感謝」

アイキャッチ用 小坂神父の今週の糧

去る1月29日、鹿児島教区長郡山健次郎司教様の叙階式が行なわれ、地元出身の司教ということで大きな喜びに包まれていたと、参加された梅村司教様が司祭団に報告されました。新司教様のモットーは表題に掲げた言葉で、通例の司教様の選ぶモットーとは趣が異なりますが、現代世界の中で福音の浸透の困難さとそれに立ち向かって前進していこうとする司教様と教区信徒の心意気を読み取ることができます。

先日、叙階式に参列された方から1枚のコピーをいただきました。今から34年前、1972年に司教様が司祭に叙階された日、そのお父上であられる郡山為業さんが自分の息子から「もう一人のキリスト、永遠の司祭」に変じる式に参加されたときの気持ちを詠まれた歌が10いくつ書かれていました。

  • 青春を 捧げまつらく 祭壇に 今か赴く わが子の姿
  • 父母の 親族(ウラカ)のみかは 潮(ウシオ)なす 祈りは絶えじ 汝が後ろにて
  • 司教按手の 儀おごそかに 成りて子は 今上げられぬ キリストの司祭に
  • 子はまさに 主の祭壇に 血の杯(カリス) 捧げて立てり 尊き司祭
  • おもむろに 胸になみだの こみあげて わが感動は 身うちを燃やす

新司祭の父親としての不安と感激とが見事に表われ出て、これをいただいた新司祭郡山健次郎師の心に、今までのこの道が誤りないものであったという自覚と、これからの司祭活動に対する自信と励みをいただいたことだろうと思います。

これらの歌を見せていただきながら、自分の司祭叙階の時を思い起こす機会ともなりました。そして、司祭は一人でなれるものでもなく、一人で働くものでもない、多くの人びとの祈りと犠牲に支えられて初めて実現するものなのだと、あらためて確信し、このコピーを土産に持ってきて下さった方に感謝しました。

その歌の中に一つ心に掛かったものがありました。いよいよ式場である聖堂に入り、開式を待つ最後の不安の中にも、主にすべてを委ねる心です。

祭壇の ま白き壁に 虹なして 朝日の差すを 見つつミサ待つ

いよいよここでキリストのいけにえが捧げられる感動にはやる心を静めながら、その時を静かに待つのは常のミサにおいても通じることです。鷺沼教会の信徒の方々はどのようにしてミサを待っているのでしょうか、と思いを馳せました。ミサの前のロザリオの祈りはまさにこれであって、襟を正してミサを待つひと時の捧げものなのです。

主任司祭 小坂正一郎

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