ようやく秋らしい日々がやってきました。

(旧・鷺沼教会)
(旧・鷺沼教会)
教会報「コムニオ」掲載の司祭巻頭言

ようやく秋らしい日々がやってきました。

いきなり私事ですが、1997年6月21日の聖アロイジオの祝日に下井草教会にて…

人間は何のために、どこに「向かって」生きているのでしょうか。多くの人は「自分は何のために存在するのか」、また「何のために生まれてきたのか」といった問いをつねに持っていると思います…

このたび「つむ」という……

●待降節の聖歌 待降節に歌われる聖歌が心に浮かびます…

「差し出す」という言葉は、とても“崇高”な行為のように思います。…

「てらす」・・・最初に心に留まったのは自動詞であることです。キリスト者であれば、聖霊さまに照らされた体験をはじめ……

5世紀から6世紀にかけて、……

「伸び悩み」という言葉がありますが、私自身、これまでの自分の人生を振り返ってみたとき、節々で「伸び悩んだ」ことが幾度もあったように思います。……

人との別れの場面にあって「私は『別れる』という表現は使いません。『離れる』と言います。たとえ離れても心は一つだからです」と話し続ける宣教師、懐かしい人もいるでしょう。……