津和野に流されたキリシタンたちは、信仰堅固な精鋭だったと言われています。……
週報「今週の糧」
日本の殉教者たちと天国(No.10)
この甚三郎には、次のようなエピソードも残されています。一度躓いた経験は、かれを謙遜で祈りの人にしたのでした。……
日本の殉教者たちと天国(No.9)
キリシタンの殉教シリーズを始めてしばらくたった時、何人かの人たちとおしゃべりしていました。話題は“188人の福者の殉教”になり、こんな意見が出てきました。……
日本の殉教者たちと天国(No.8)
和三郎・安太郎が殉教して、残りの不改心者は10名になった。その中で一番若かったのは国太郎の二男で、23歳の守山甚三郎であった。……
日本の殉教者たちと天国(No.7)
1867年7月(新暦)から11月までの約5ヶ月間に、28人中16名が改宗し、津和野川でミソギをし、鷲原八幡宮に詣でてお神酒を受けさせられました。……
日本の殉教者たちと天国(No.6)
最初に浦上から諸藩に流罪されたのは、3,380人の中のリーダー格とみなされた114人であつた。彼等は5月21日、長州藩に66人、津和野藩に28人、福山藩に20人が預けられた。……
日本の殉教者たちと天国(No.5)
今年の列福者188人は、14の殉教地から選ばれています。その中で私にとって一番、身近で親しく思えるのは“津和野”の殉教者たちです。理由は簡単です。……
日本の殉教者たちと天国(No.3)
1597年2月5日9時半ごろ、日本26聖人(外国人6名と日本人20名)たちは、長崎の西坂の丘に到着しました。……
日本の殉教者たちと天国(No.2)
1597年1月19日、長崎の日本26聖人の殉教者たちの一行は、毛利輝元の三原にいた。そこで、14才のトマス小崎は見張りの役人たちの親切で、母親に別れの手紙をこっそりと書くことができた。……
天国と日本の殉教者達(No.1)
今年、教皇様は「日本一八八の殉教者」を列福して下さいました。せっかくですので、日本の殉教者たちの中で、それも特別に若い子供たちが殉教の場で「天国」について触れているのを拾い上げて行きたいと思っています。……